皆さんこんにちは、ナマコ男です。りゅうおうのおしごと!、良いですね。とうとう原作ライトノベルを買って読んでいますが、桂香さんがめちゃくちゃエモい。アニメの3倍増しくらいには。あと姉弟子が本当に可愛いですね。これもアニメの倍増しくらいには。銀子好きの私としては、これは原作を読まずして云々かんぬんといったところ。頓死。
コレカラとか次のmixで入れたいですね。気持ちがいいので。
そう、今回はmixについてのお話。もしかしたら不快に思う方もいるかもしれませんが、あくまで一個人の見解として受け流してもらえればと。
自分がそれなりに時間をかけて作ったmix。これまで9つ作ってきましたが、今改めて聞いてみると、どうにもしっくり来ません。最新のものはそれなりに馴染むのですが、その他のものが。自分で作ったもののはずなのに何かおかしいと感じてしまうのは変な話ですが、だけどやはり噛み合わない。繋ぎの技術が低かったというのも一因でしょう。(今も高いわけではなく当時よりはマシになっただろうという程度ですが。) あと考えられるのは技術云々の前のセンス、あるいはmix制作の慣れ、もしかしたら当時も違和感を覚えていたかもしれないのに疲れからかそのままアップしてしまった、なんてこともあるやもしれません。
前につくったmixを聞いていると「次のはもっと丁寧ていね丁寧に作るよ。」と思えました。良い反面教師として作用している点はナイスですね。
また新しいmix作ろう、という段になって「さて、良いmixってなんだ?」と考えてしまいます。mixと似たものには「クロスフェード」がありますが、一体mixとクロスフェードと何が違うんだろう。参考に動画投稿サイトにアップされている名曲アニソンメドレーみたいなものを聞いてみたのですが、確かに普段に聞くようなmixとは違うのはわかります。サビのワンフレーズが終わった頃にフェードアウトさせて次の曲のサビがまた始まるとかなんとか、なんとなく違うなとは思いました。
ただその違いを説明できない。やってることはmixと変わらないんじゃない?と言われた時の反論が出来ないのです。クラブなどで活動している方のようにエフェクトをかけたり曲をいじったりすればそれがmixだというのも何か違うような気がします。フェードインフェードアウトで曲が並んでいればクロスフェードなのかといえば、mixでもフェードアウトを使用する時はあるのではないでしょうか。私の前作のものもフェードアウトしつつ……みたいな箇所はありますしね。
例えば、私が愛聴しているDJ和氏によるDJ MIX CD「J-アニソン神曲祭り -パラダイス- [DJ和 in No.1胸熱MIX]」でも、(もちろん完全に断絶しているわけではないのだが)曲の繋ぎ目はわかるようになっているし、フェードアウトもあるし、それでも私はこのmixがとても気持ちいいと感じています。クラブなどでの曲のアウトロと次曲のイントロを重ねてみたり、エフェクトを掛けたりという「DJらしい」プレイは見受けられませんが、しかしそれが無くとも1つの流れとして成立しており、とても心地よいのです。
一旦話は変わるのですが、私が普段つくっているmixはプレイリストの延長です(自分の知っている曲しか使えないので当たり前ではありますが)。好きな曲を気持ちよく聞きたい、というのが制作理由の大半です。理由のあともう少しは見せたがりです。
好きな曲は気持ちよく聞きたい、であるなら一曲通して聞きたい曲をそのまま並びに投入して流れが一旦途切れたりもします。でも自分で気持ちが良かったならそれでいいだろうとドヤ顔でアップしています。
もし私がフェードイン、フェードアウトが超好きだったならそのようにmixを作っていたでしょう。
話を戻しましょう。
色々考えて、結局自分の中で出た答えとして「気持ちよけりゃぁ何でもいっか。」でした。解答になってるわけでもないし、めちゃくちゃ安直ですが。気持ち良さが全て。
そもmix、広く言えば音楽、なんなら芸術というものは極めて感覚的なものだと私は考えています。もちろん連綿と続く芸術の歴史の中で確立された技法や様式などが存在し、大抵のものがその原則に則り制作されています。
が、例えその原則から外れたものであったとしても、誰かが「良い」といえば少なくともその人の中ではそれが「良い」し、誰もが「良い」といっても自分が「気に入らない」と感じれはその人の中でそれは「駄作」になるのでしょう。美術作品で言うと、有名な画家はその死後にようやく作品の価値が認められて賞賛されるようになったものも多いそうですね。つまり生前には「良い」とされていなかったと言えます。今は傑作とされているはずなのに。
大衆受けするしない、上手下手は「良さ」を判断する材料にはなりますが、それだけで決まるわけではないのではないでしょうか。もっと別の何かも。
「どんなにつまらない小説でも」、あるいはありふれた音楽でも、良いと感じてしまっては、それが良いと諦めるしかない。 受け売りなんですけどね。(一体◯住◯◯マサなんだ……?)
かといって私に特に鋭い感性があるとか、大衆には受けないかもしれない才能を見出す眼力があるとか、そういうことはないです。残念ですね。
長くなりましたが、つまりはそうですね。良いmixっていうのは「自分が」良いと思えるmixなのでしょう。それで言うと私は今までひたすら駄作を生み出し続けてきたわけですが。名曲たちに申し訳ないなぁ……
私は私が、少なくともその時点では気持ちいいと思うものをこれからも作ります。自信満々に公開すると思うので、気が向いたら聴いてみてください。(見せたがりなので。)
前よりも上手く、綺麗に、そして気持ちよく出来るようになれればとても嬉しいですね。
他の友人のmixを聴くのもとても楽しみです。その人の「良い」が詰まってるわけですからね。友人のmixを聴くと自分には無いものを見つけたり、あるいは自分と共通する良さを感じられたり、色々と楽しいです。
それでは、以上を持って今回の結論とします。主張一貫してた?ごちゃごちゃ?しーらない!チャンチャン。
せっかくなので合わせて、誤解を恐れずにいうと、私は別に作品すべてが傑作で、肯定されるべきとは考えていません。面白くないものは面白くないし、それを好きになる人の感性に共鳴することは難しいでしょう。非常に傲慢ですね。もしかしたら先ほどの芸術観(?)は傲慢で弱い自分を強化するための鎧なのかもしれません。チャンチャン。
ではでは、今回はこの辺で〜
「しょーがねーだろ赤ちゃんなんだから」